いこまいけ南砺
木彫りのまち 井波
江戸時代中期に行われた瑞泉寺再建のおり、京都の彫刻師:前川三四郎から地元大工達が彫刻の技法を習ったことが井波彫刻の始まりとされています。当初は神社仏閣の飾り彫刻でしたが、現在では住宅の欄間などにも井波彫刻が使われています。井波地区の中心地である八日町通りには、多くの彫刻師の工房が通りに面してあり作業風景を見学できます。石畳の八日町通りを登りきった場所には瑞泉寺があります。左手の小道を進むと井波城址の井波八幡宮があり、周辺には当時の土塁がそのまま残っています。
瑞泉寺への参道となっている八日町通り
井波の観光名所
八日町通り
八日町通りは、瑞泉寺へ連なる石畳の通りです。井波の伝統産業である木彫の職人の家が軒を連ね、楠(くすのき)の香がほのかに漂っています。
瑞泉寺
井波別院 瑞泉寺は、井波彫刻で有名な南砺市の井波地区にある寺院です。本願寺五世の綽如上人(しゃくにょう しょうにん)が明徳元年(1390年)に創設した真宗大谷派の寺院です。
瑞泉寺は越中一向一揆の拠点となり、時代の荒波にもまれながらも法灯を守り続けました。豊臣秀吉の保護を得て勢力を回復し、江戸時代には越中における真宗東派の触頭(ふれがしら)として機能しました。
大谷廟
大谷廟は、井波別院瑞泉寺を開いた綽如上人をはじめ歴代住職の御廟です。御廟は、切石積み構造で幅2.7m・奥行き2.1mの方形で基壇を入れた高さは3mあります。上部に川原石が置かれた真宗独自の御廟です。近くには御廟を護る大谷支院があり、周囲には墓苑が広がっています。また、戦没者の納骨と慰霊のための忠魂碑もあります。
井波城址(瑞泉寺旧跡)
井波城址:周囲を土塁が囲み、北東側に深い谷がある戦国末期の典型的な平山城です。一向一揆の拠点となった瑞泉寺があり、寺の周囲に土塁や外堀を築いて防御していました。瑞泉寺は、天正9年(1581年)に戦国武将の佐々成政に攻められ、町家とともに兵火にかかり、陥落しました。その後、成政家臣の前野小兵衛は井波に入り瑞泉寺跡地を城として整備しました。阿弥陀堂跡が本丸となり、祖師堂跡が二の丸、太鼓堂跡が三の丸になったと記録に残っています。
旧井波駅舎(井波物産展示館、国登録有形文化財:第16-0004号)
旧井波駅舎:旧井波駅舎は、昭和9年(1934年)に井波の大工:松井角平恒茂(まつい かくへい つねしげ)によって設計・施工された寺院風の駅舎です。石動(小矢部市)から井波を通り、庄川(現 砺波市)まで走っていた加越線と呼ばれた鉄道の駅舎です。昭和47年に加越線が鉄道が廃止されるまで、井波町の玄関口として栄えました。昭和47年に鉄道が廃線となった後、駅舎は昭和52年(1977年)に東側へ移転改修され井波町の物産展示館となりました。
翁塚と黒髪庵
翁塚と黒髪庵:浄土宗の浄蓮寺境内にあります。松尾芭蕉の弟子であった井波別院瑞泉寺11代浪化上人は、元禄13年(1700年)に近江(滋賀県)の義仲寺にある芭蕉の墓から、小石3個を持ち帰り、浄蓮寺の境内に塚を建てました。2年後の元禄15年(1702年)には芭蕉の遺髪も納まられました。この塚を翁塚と言い、表面に「翁塚」の二字が刻まれています。翁塚は、伊賀上野の故郷塚、義仲寺の本廟とともに芭蕉三塚とされています。
いなみ木彫りの里
いなみ木彫りの里:道の駅井波の施設です。木彫で有名な井波、お土産売り場には木彫り製品が盛りだくさん、不思樹劇場では井波の民話や自然を紹介。敷地内には木彫り彫刻作業を見学できる「匠工房」、木彫ミュージアム「井波彫刻総合会館」、高さ4mもある七福神などがあります。
大門川河川公園
大門川河川公園:水をテーマにした公園です。河川護岸に自然石が用いられ、川の自然湾曲を考慮した水路が巡らされています。下流までに、、四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)の彫刻を施した4つの橋があります。また、4年に一度開催される「いなみ国際木彫刻キャンプ」での作品も展示されています。隣には道の駅井波があります。
諏訪川原と大杉
諏訪川原と大杉:井波城の鬼門を守るために永禄2年(1559年)頃、諏訪明神を招聘して、この場所に小さな祠が建てられました。かつて、祠があった場所の大杉は、今でも枝葉が茂り、諏訪の大杉と呼ばれています。
閑乗寺公園
閑乗寺公園:標高約300mの高台にあり、砺波平野の散居村を一望できます。夜景スポットとして有名です。夏にはキャンプやバーベキュー、冬にはスキーと四季を通じて楽しむことが出来ます。
不動滝
不動滝:井波の市街地から閑乗寺公園へ向かうの途中から分岐する基幹道林道赤祖父線で南西約3.2kmの場所に位置し、林道から200m程奥に行った場所に白布に包まれた不動尊を想わせる「不動滝(ふどうのたき)」があります。
不動滝の霊水
不動滝の霊水:不動滝の岩山を一つ越した北斜面の岩場から湧き出る岩清水は、「不動滝の霊水(ふどうだき の れいすい)」として永年里人に愛されてきました。昭和61年2月には「とやまの名水」に選ばれました。
高瀬遺跡
高瀬遺跡:古代(平安時代 初期)に荘園を管理したと考えられる数棟の建物跡が残る遺跡です。昭和45年(1970年)に行われた、ほ場整備事業の途中に堀立柱の建物跡が発見され、翌年、文化庁指導のもとに本格的な発掘調良が行なわれました。国指定史跡となっています。
高瀬神社
高瀬神社:神社の鎮座は、古く農耕文化の芽生えた弥生時代と云われています。延喜式内社として砺城地方を中心に古くから人々に崇敬されています。日本海沿岸と関係が深い大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命:おおくにぬしのみこと)が祭神で、気多大社(能登一宮)や気多神社(高岡市伏木)も同じ祭神です。
大学寮勧学院田址
大学寮勧学院田址:平安時代の「延喜式」に記載されている砺波郡墾田地十八町余りの大学寮勧学院田があった場所とされています。
井波よいやさ祭り
井波よいやさ祭り:毎年5月3日に行われる井波八幡宮の春季祭礼です。6基の神輿と5町内の庵屋台および3町内の獅子舞がでます。
井波 地図
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