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井波
大谷廟
大谷廟(もしくは大谷御廟)は、井波別院瑞泉寺を開いた綽如上人(しゃくにょう しょうにん)をはじめ歴代住職の御廟です。瑞泉寺歴代の火葬場は、井波町郊外五領(御陵)島並びに旧庄川町(現砺波市庄川)のポンポン野にあり、墓地も置かれ一般に灰塚と呼ばれていました。宝暦4年(1754年)に瑞泉寺境内に墓をまとめて移し、安永4年(1775年)に瑞泉寺再建と共に、加賀藩からの拝領地(小山拝領地)に大谷廟を造りました。
御廟は、切石積み構造で幅2.7m・奥行き2.1mの方形で基壇を入れた高さは3mあります。上部に川原石が置かれた真宗独自の御廟です。近くには御廟を護る大谷支院があり、周囲には墓苑が広がっています。また、戦没者の納骨と慰霊のための忠魂碑もあります。
綽如上人大谷廟
大谷廟 地図
この地図の中央やや下の「井波別院公園」と書かれた場所が大谷廟です。一般的にイメージする公園ではなく、墓苑です。車道から伸びる細い道を登りきった場所に大谷支院があり、その先に綽如上人の御廟(お墓)があります。
大谷廟 写真
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