本座(山人形)の意匠は、横町「猩々(しょうじょう)の汲み酒」、上町・七津屋「神功皇后の西征航海」、浦町・辰巳町「素戔鳴尊(すさのおのみこと)の大蛇退治(おろち たいじ)」、新町「橋弁慶牛若丸」です。福野の曳山はいつ頃から曳き廻されるようになったかは定かではありません。元禄(1688〜1703年)は庶民文化が花ひらき、享保年間(1716〜1735年)には経済不況となりました。不況打開のために人々は神を奉り招福除災・町内繁栄を祈りました。安永年間(1772〜1780年)には各地で曳山祭りが流行っていました。
上町には文政9年(1826年)以降の曳山を行った古文書があり、横町には弘化4年(1847年)に曳山修繕を行った古文書が残っています。文政年間(1818〜1829年)には各町で曳山を作り、天保年間(1830〜1843年)には4町の曳山が揃って曳き廻されていたと考えられます。

横町:猩々(しょうじょう)の汲み酒
横町の曳山:本座は猩々(しょうじょう)です。相座は、からくり人形の唐子となっています。勾欄(こうらん)は、一位勾欄腰重子彫り。上壇は神代木雲龍彫り、中壇は水浪、下壇は如鱗杢牡丹獅子彫り。地山(曳山の腰部分)には巌石獅子彫りが施されています。浦町・辰巳町:素戔鳴尊(すさのおのみこと)の大蛇退治(おろち たいじ)
浦町・辰巳町の曳山:本座は素戔鳴尊(すさのおのみこと、天照大神の弟)です。雛台になっており、朱塗りの擬宝珠勾欄(ぎぼうしゅ こうらん)と白木の勾欄の二重構造になっています。見送りは、金箔押しの鏡面板で白象に子供が戯れる「唐子遊び」が木彫彩色されています。雛台の下には欄間が二重になっており、上が堆黒(ついこく)で波に龍が戯れる木彫彩色、下が白木に菊が彫刻されています。腰幕は、ラシャの朱色の幕です。上町・七津屋:神功皇后の西征航海
上町・七津屋の曳山:本座は神功皇后で、武内宿禰(たけのうち すくね)が陪従しています。曳山全体が船の姿をし、船首には翼(2.3m)を広げた木彫りの鷁(げき:水鳥。強風に耐えて飛ぶことから水難よけに飾ることが多い)が飾られています。船の上には入母屋造り唐破風の屋根があります。新町:橋弁慶牛若丸
新町の曳山:本座は橋弁慶牛若丸です。硯屏は、水波に龍・松竹梅に虎・雲に麒麟・唐子遊びなどの精緻な彫り(井波彫刻)に金箔が施されています。勾欄の欄間は、漆塗りでホゾ構造による組立て式です。鉾留(ほこどめ)は、ほら貝です。| 曳山巡行の様子 | |||
![]() 四つ角の曳山 |
![]() 銀行四つ角 |
![]() 神明宮前の参道 |
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![]() 神明宮前 |
![]() 神明宮前 |
![]() 神明宮前 |
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![]() 鳥居と曳山 |
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