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野尻城跡
野尻城跡(のじり じょうせき)は、平安時代末から室町時代にかけて、この一帯を支配した在地領主 野尻氏の居城跡です。城跡は徳仁寺の周辺に広がっています。野尻氏の名前は、源平の合戦で知られる倶利伽羅合戦(1183年)の初めて史料に登場し、南北朝時代まで度々名前が挙がっています。野尻城は、南北朝時代に反幕府方勢力の拠点となり、1362年と1369年の二度に渡り幕府方に攻められています。1481年(文明13年)には一向一揆に攻められ、城主が降伏したと記録に残されています。
平成3年と4年の発掘調査では、南北朝時代から戦国時代の井戸跡と陶磁器類や鍛冶関連遺物が出土しており、戦国時代にも城が存在していた可能性が指摘されています。
現状としては、城の遺構らしいものは全くありません。あえて言うなら徳仁寺の山門に向かって左手に「野尻城址」と刻まれた石碑と解説板がある程度です。徳仁寺周辺はのどかな散居村が広がっています。そもそも地元でも「野尻城跡」を知っている人は周辺住民と物好きな人くらいで、旧福野町の住民の間でも知名度はかなり低いです。南砺市指定史跡(昭和46年7月20日)です。
野尻城跡(写真:2010年4月27日撮影)
野尻城跡地図
場所:〒939-1502 富山県南砺市野尻850(徳仁寺)
野尻城跡の写真
「野尻城址」の石碑
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徳仁寺 山門
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徳仁寺 本堂
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城跡周辺の風景(野尻)
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