唐破風造りの式台門は、門扉に菊の紋章があり、勅使参向の際に出入りに使われるため、勅使門・菊の門とも呼ばれています。瑞泉寺は、宝暦12年(1762年)の大火によって全焼しましたが、まもなく再建か進められ、寛政4年(1792年)に式台門の立柱式が行われています。記録では、棟梁は加賀藩の拝領地大工であった井波の柴田清右衛門がつとめ、彫刻は拝領地大工の北村七左衛門(番匠屋九代目)が彫ったとあり、井波彫刻の源流を示す名作の一つとされています。
扉の両小脇板を飾る「獅子の子落とし」は、我が子を千尋の谷に落として育てるという、獅子の言い伝えを彫ったものです。蟇股(かえるまた)には人の悪夢を食べるという「莫(ばく)」、虹梁(こうりょう)上には「松に鶴」の彫刻等があります。洗練された構図と動的な表現は、山門の正面唐挟間の「波に龍」を彫った京都の彫物師:前川三四郎に習ったと云われています。

Copyright © 2006-2008 Ikomaike NANTO. All Rights Reserved.