流刑小屋:加賀藩の流刑地として罪人が五箇山へ最初に送られて来たのは、1667年(寛文7年)と伝えられています。以来明治維新までの約200年間に150人余りが流刑で五箇山へ送られました。
流刑地は、庄川右岸の7集落(猪谷・小原・田向・大島・篭度・大崩島・祖山)でした。加賀藩は、流人の逃亡を防ぐため庄川に橋を掛けさせず一人では往来できない篭の渡しを使わせていました。流刑小屋には集落内に限って出歩ける「平小屋」、一歩も外へ出歩けない「お縮小屋」、小屋の中に更に狭い檻を作って閉じ込める「禁錮」の3種類ありました。
羽馬家:五箇山地方に残る国の重要文化財に指定された合掌造りの中でも一番マイナーなのが羽馬家住宅。言われなければ、気付かないでしょう。そもそも、庄川をはさんで上梨地区の反対側にある田向地区へ来る人も少ない・・・。初期の合掌造りということで、ちょっと小さめですが古びたいい感じが出ています。流刑小屋から約10分歩くだけ、ぜひ行ってみてください。内部は公開されていません。
五箇山荘:公営国民宿舎。五箇山地域のほぼ中心に位置し、五箇山観光の拠点とするのに適しています。国指定重要文化財「村上家」「羽馬家」や加賀藩の流刑地であったころ重罪人が入れられた流刑小屋が直ぐ近くにあります。世界遺産に指定されている「相倉」「菅沼」の両合掌集落へは約6kmです。