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流刑小屋

いこまいけ南砺

 加賀藩の流刑地として罪人が五箇山へ最初に送られて来たのは、1667年(寛文7年)と伝えられています。以来明治維新までの約200年間に150人余りが流刑で五箇山へ送られました。
 流刑地は、庄川右岸の7集落(猪谷・小原・田向・大島・篭度・大崩島・祖山)でした。加賀藩は、流人の逃亡を防ぐため庄川に橋を掛けさせず一人では往来できない篭の渡しを使わせていました。流刑小屋には集落内に限って出歩ける「平小屋」、一歩も外へ出歩けない「お縮小屋」、小屋の中に更に狭い檻を作って閉じ込める「禁錮」の3種類ありました。
 明治以降は、流刑の制度がなくなり物置として使われていました。
 
流刑小屋(写真:2006年3月11日撮影)
流刑小屋
内部の様子
内部の様子
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田向地区

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