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庵屋台
西下町 庵屋台
西下町にある庵屋台は、1889年(明治22年)4月に新調したものです。庵部分は、数寄屋造りの2階建となっており、主屋・離れ二棟の京都・祇園の料亭を模したものと言われ、3代目 山村十右衛門が企画・設計を行い、工匠は中田清蔵が行いました。西下町の庵屋台の高さは、3.29メートルあります。重の欄間は、井波の彫刻師・大島五雲が製作し、1916年(大正5年)6月に完成させました。
西下町 庵屋台(写真:2007年5月5日撮影)
提灯姿となった西下町の庵屋台(写真:2011年5月5日撮影)、庵唄所望
西下町 庵屋台の詳細写真
庵唄(諌鼓共和会)
- 2007年、書き送る
書き送る
文もしどなき 仮名書きの
抱いて寝よとの 沖超えて
岩にせかれて 散る波の
雪かみぞれか みぞれか雪か
とけて浪路のふたつ文字 夫(つま)を恋しと 慕うてくらすえ
- 2008年、薄墨
薄墨に 書く玉章(たまずさ)の思いして 雁啼き渡る宵闇に
月影ならで 主さんに 焦がれて 愚痴な たたみ算
思い廻して ままならぬ 早く苦界を候かしく
- 2009年、一聾(ひとこえ)
一聾は 月が鳴いたかほととぎす いつしか白む 短夜に
まだ寝もやらぬ 手枕(たまくら)や 男心はむごらしい
女心はそうじゃない 片時逢わねばくよくよと
愚痴なようだが 泣いているわいな
- 2010年、海晏寺(かいあんじ)
あれ見やしゃんせ 海晏寺
ままよ 竜田の高尾でも
およびないぞえ 紅葉狩り
- 2011年、沖の瀬に
沖の瀬に 月は今宵も影させど
届く瀬のない 我が思ひ 仇し仇波 かへしてよせて
夢みるひまも涙ぐむ 辛い浮世ぢゃ ないかいな
- 2012年、浅くとも
浅くとも 清き流れの かきつばた
飛んで行ききの 濡れつばめ
のぞきに来たか 編み笠の
顔が見とうは ないかいな
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