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恩光寺
恩光寺 阿曽三右衛門の銅像
阿曽三右衛門(砺波地方の偉人、慶長16年(1611年生)〜貞享4年(1687年没)、享年77歳)は、砺波郡野尻村本江(現 南砺市本江)に生まれました。
当時、砺波郡は陸上交通の便が極めて悪く、農作物の運搬・日用品の売買には今石動か城端または井波まで行かなければなりませんでした。阿曽三右衛門は、各町の中間にあたる場所に新しい町を開く必要があることを説き、慶安2年(1649年)に郡奉行に福野の町立てを願い出て、翌慶安3年(1650年)に福野(市場町)の町立て行い、慶安4年(1651年)には福光(市場町)の町立てを行いました。
一方、農民は藩へ納める年貢米を今石動と城端の藩蔵まで送らなければならず、阿曽三右衛門は水運の利用を考え、小矢部川沿いに藩蔵を設置する許可を願い出て許されました。明暦元年(1655年)に津沢御蔵が建てられ、小矢部川の本流、支流、川につながる用水路によって年貢米が運ばれるようになりました。五箇山が藩に納める煙硝なども、城端を経て津沢御蔵に一時保管され、舟により金沢に運ばれました。また、藩の専売であった塩も、伏木から小矢部川を遡って津沢御蔵で陸上げされ、五箇山・飛騨地方へと運ばれました。御蔵が建てられ、交通の便がよくなったことで人的・物的流通が盛んになると、阿曽三右衛門は藩に請願して、万治3年(1660年)に津沢町の町立てを行いました。
恩光寺境内に建つ阿曽三右衛門の銅像(写真:2010年5月3日撮影)
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