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金剛堂山 登山
金剛堂山 山頂
金剛堂山 山頂は、標高 1637.8メートルあり、一等三角点「金剛堂山」があります。ただし、このピークは前金剛とも呼ばれるように、前金剛・中金剛・奥金剛と稜線の続く金剛堂山の中で最高地点ではなく、金剛堂山の最高地点は中金剛です。3つのピークで、山頂らしく整備されているのは一等三角点のある前金剛です。
この金剛堂山の山頂(前金剛)は、ワリと広く、ベンチにもなる大きな石造り風景指示盤が設置されており、一等三角点の柱石、石造の祠(「藤原義勝」の銘が記された神鏡を祀った祠)、「金剛堂山の記」石碑、「霊峰史跡 金剛堂」の石柱があります。金剛堂山の稜線は、風衝草原で背の高い樹木が無いため、360度視界が開けています。東から南にかけて剱岳、立山、薬師岳などの立山連峰に連なる山並み、少し離れて槍・穂高連峰、乗鞍岳、噴煙上げる御嶽山を眺められ、南西を見ると白山を見られます。近場では白木峰や人形山などの山並みを堪能できます。
金剛堂山 山頂(写真:2015年5月23日9時53分撮影)
金剛堂山 山頂 地図
金剛堂山 山頂を中心とした金剛堂山への登山ルート上のポイント
- 1346メートル・ピーク
- 1291メートル鞍部・栃谷登山口より3km地点
- 1451メートル・ピーク
- 栃谷登山口から4km地点:標高 1500m
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- 金剛堂山 山頂(前金剛):標高 1637.8m
- 歌碑のあるピーク:標高 1630m
- 中金剛:標高 1650m
- 奥金剛:標高 1616m
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風景指示盤(写真:2015年5月23日撮影)、この風景指示盤によれば北から時計回りに、牛岳、呉羽山、富山市街、白木峰、剱岳、弥陀ヶ原、立山、薬師岳、三俣蓮華岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、焼岳、乗鞍岳、富士山、南アルプス 御岳、奥金剛堂山、白山、人形山、医王山を展望できるようです。
金剛堂山 山頂から眺めた北アルプス(写真:2015年5月23日9時49分撮影)、薄曇り空でしたが比較的よく見えました。剱岳~奥大日岳~剱御前~別山~真砂岳~立山~龍王岳~鬼岳~獅子岳~鷲岳~鳶山~スバリ岳~越中沢岳~針ノ木岳~蓮華岳~間山~北薬師岳~薬師岳~太郎山~北ノ俣岳~水晶岳~赤木岳~祖父岳~ワリモ岳~鷲羽岳~黒部五郎岳~三俣蓮華岳~丸山~双六岳~北鎌尾根~槍ヶ岳~大喰岳~中岳~南岳~奥穂高岳~前穂高岳~間ノ岳~西穂高岳~西穂独標の峰々を眺められました。
金剛堂山 山頂から眺めた乗鞍岳(写真:2015年5月23日9時49分撮影)
金剛堂山 山頂から眺めた御嶽山(写真:2015年5月23日9時49分撮影)、何となく山の右肩から噴煙が上がっているように見えました。
「藤原義勝」の銘が記された神鏡を祀る祠(写真:2015年5月23日撮影)、御影石だと思います、ひょっとして合掌造りをイメージしたデザインかもしれません。なお、5月に登山した時(山開き前)の写真なのでこの時点では神鏡は未だ祀られていないと思います。
「金剛堂山の記」石碑(写真:2015年5月23日撮影)
「金剛堂山の記」の碑文
この山は、標高1637.9メートル、古来越飛群嶺の主峰として国境に近く砺波・婦負の郡境、加賀・富山藩の領界で、かつ山岳信仰の中心として、とくに五箇五谷・野積四谷鎮護の霊域であった。
開山は明らかでないが、奈良期 文武の朝、大宝元(701)年を伝え、役小角の開葉、累代これを守り、その間つねに修験の場として各地から参籠栄えたという。中世以降荒廃したが、なお木曽、斎藤、神保、佐々、前田など歴世武将の崇敬が厚かった。
御祭神は、わが国創世の両足神を本地とし、金剛蔵王権現を斎き祀った。ひとつに婦中町 鵜坂神社の奥本社ともいわれる。
幕末嘉永5(1852)年、富山10代藩主前田利保登拝。連なる白木峰で
飛騨 信濃 木曽の峰々 みな見えて
西は残さぬ 白木峰かな
と詠み、かつて両国紛争の思いをこめた山並みでもある。
このたび由緒を新たに、所在 利賀村の文化高揚のため、堂宇を再建、この記とした。
偉哉山容 仙跡芳蹤
千秋萬古 郷閭為宗
昭和44年10月吉日
「霊峯史跡 金剛堂」の石柱(写真:2015年5月23日撮影)、裏面には「昭和44年10月建○ 富山県知事 吉田 實 ○」と陰刻されています。
北東尾根への登山道(写真:2015年5月23日撮影)、風景指示盤の脇から入る急傾斜の道で、旧スノーバレー利賀と富山市八尾・大長谷にある西瀬戸登山口への登山道です。
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