西町の庵屋台は、江戸時代末期の1862年(文久2年)に作られたと伝えられています。上部には2棟の数奇屋造り家屋が作られています。屋台後方の数奇屋と下部の軒屋根の間には6枚の欄間が飾れています。この欄間は、井波彫刻の創始者の流れをくむ番匠屋12代目与八郎の作と考えられています。江戸時代の狩野派の絵師が描いたとされる「六玉川」の風景を意匠化し、欄間にしたものとされています。六玉川は、全国六ヶ所にある「玉川(井手の玉川(京都府綴喜郡井手町)、調布の玉川(多摩川)、大阪府高槻市、宮城県塩釜、滋賀県草津、和歌山県高野山)」を意味し、万葉集や新古今和歌集などの和歌の枕詞などに登場し、筝曲の題材にもなっています。
西町 庵屋台(写真:2010年4月18日撮影)
2棟の数奇屋造り
六玉川の欄間
布を晒す女性達:東京都多摩の「調布の玉川」
千鳥と潮風:宮城県塩釜の「野田の玉川」
山吹と駒:京都府綴喜郡井手町の「井手の玉川」
砧(きぬた):大阪府高槻市の「三島の玉川」
月と萩:滋賀県草津市の「野路の玉川」
深山と寺院:和歌山県高野山の「高野の玉川」
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