松村謙三(まつむら けんぞう、明治16年(1883年)1月24日生〜昭和46年(1971年)8月21日没、享年88歳):旧福光町出身
政党政治家。衆議院議員選挙に通算13回当選し、厚生大臣・農林大臣・文部大臣を歴任。従二位勲一等旭日桐花大綬章。日中友好の功労者。
戦後、幣原内閣の農相として農地改革を提案推進。戦前の全体主義体制には抵抗したものの戦争を阻止できなかったことに対する反省、及び環日本海における産業発展の観点から日中友好、日中国交回復に尽力。
河合良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月10日生〜昭和45年(1970年)5月14日没、享年86歳):旧福光町出身
政治家、実業家。第1次吉田内閣の厚生大臣、小松製作所社長、経団連常任理事。
大正7年(1918年)8月外米課長のとき、郷里の富山県で米騒動が起き全国に波及し、寺内正毅内閣が総辞職したのを受けて引責辞任。昭和9年(1934年)、帝国人造絹糸株の売買に関して疑惑があるとマスコミによって問題化される。世に言う帝人事件。結局昭和12年(1938年)12月に無罪判決。戦後、昭和20年(1945年)10月、幣原内閣の松村謙三農林大臣の下で農林事務次官を務め、昭和21年(1946年)5月に第1次吉田内閣の厚生大臣に就任。昭和22年(1947年)には経営不振だった小松製作所の社長に就任し、再建。昭和27年(1952年)に郷里の富山2区から衆議院議員に立候補し当選する。その際に同じ福光町出身でかつて事務次官に取り立てた松村謙三の対抗馬となったために、地元では激しく批難された。共産圏との貿易拡大に尽力した。
綿貫民輔(わたぬき たみすけ、昭和2年(1927年)4月30日生〜 ):旧井波町出身
実業家(トナミ運輸)、政治家(衆議院議員:13期)。国土庁長官、建設大臣、自民党幹事長、衆議院議長(第70代)など歴任。
1955年に28歳の若さで家業である砺波運輸(現トナミ運輸)社長に就任、瀕死と言われた砺波運輸を立て直し、上場企業へ昇格させる経営手腕を発揮。昭和44年(1969年)に衆議院総選挙に旧富山2区から自民党公認で出馬し初当選、以後13回連続当選。平成17年(2005年)7月、衆院における郵政民営化関連法案の議決に際しては反対票を投じ、その後の衆議院総選挙(郵政解散)における自民党執行部の報復的な党公認拒否に対して反発し、「国民新党」を旗揚げして代表に就任。全国的な知名度は郵政解散までは引くかったが、温厚な性格から政界では「まとめ役」として知られている。また、現職の神主でもある。
河合常則(かわい つねのり、昭和12年(1937年)1月10日生〜 ):旧城端町出身
自由民主党所属の参議院議員(当選1回)。1975年に富山県議会議員に初当選し、1991年には富山県議会議長に就任。2004年7月、参議院選挙に自民党公認で富山選挙区に出馬し初当選。2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議採決では反対票を投じたが、後に賛成に転じた。
石崎光瑤(いしざき こうよう、明治17年(1884年)生〜昭和22年(1947年)没、享年63歳):旧福光町出身
明治・大正・昭和と京都で活躍した日本画家。竹内栖鳳の門下となり、写実をもとにして明るい色彩の絵画を得意とした。
松村秀太郎(まつむら ひでたろう、明治21年(1888年)生〜昭和46年(1971年)没、享年83歳):旧福光町出身
彫刻家。大正14年 日本美術院彫刻部に出品、以後毎年出品。昭和5年 日本美術院会友。高岡工芸高校の教師として、多くの富山彫刻作家を育成。
柴田崇徳(しばた たかのり、昭和42年(1967年)生〜):旧城端町出身
ロボット工学研究者でアザラシ型ロボット「パロ」の開発者。
1992年名古屋大学大学院博士課程電子機械工学専攻修了。博士(工学)。産業技術総合研究所知能システム研究部門主任研究員。主な業績は、「人と共存し、相互作用により、楽しみや安らぎを提供することを目的にするメンタルコミットロボット」の開発。IEEE/IFSA ファジィロボット賞、Good Design賞・新領域部門、ギネス世界記録 Most herapeutic Robot、人間力大賞、内閣総理大臣奨励賞、Swedish Museum of Science and Technology Robot Exhibition Award等多数受賞。
岩倉一弥(いわくら かずや、昭和60年(1985年)4月26日生〜 )旧井波町出身
サッカー選手、横浜FC